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アラサー小企業リーマンのゆるふわ日記

ロースペ男の日常なんて誰が興味あんねん・・

オリンピックは感動できるが高校野球の甲子園は感動できない件

雑記

時差12時間。

日本の夜9時がブラジルの朝9時。

大学生の時と違って社会人になると徹夜、

オールができない。

 

体力的な問題もあるし、

次の日の仕事のことを考えてだ。

特に俺は毎日7時間の睡眠時間がないと

お昼過ぎから夕方にかけて、

核エネルギーが切れたシンゴジラのように脳が活動停止してしまう。

 

 

朝起きるのは8時。

ということは遅くても深夜1時には寝ないといけない。

これではオリンピックを堪能できない。

 

 

だから、睡眠をたっぷり取り、

午前と午後の早い時間である程度の仕事を終わらせた後、

夕方以降はゴジラ第2形態のように

社畜リーマン」から「サボリーマン」に進化して、

ネットでオリンピックのハイライトを追う。

 

 

 特に感動したのは体操の内村航平選手の演技だ。


【NHKリオ】内村の6種目 全部見せます 体操個人総合決勝

 

特に6種目目の鉄棒の着地は鳥肌が立つ。

そして、メダルを取ったあとの「無駄な質問だ」のあの記者会見も胸を打つ。

 


【NHKリオ】外国人記者のいじわる質問に「ムダな質問」 怒ったライバル 体操個人総合

 

ベルニャエフ選手格好いい。

オレグ・ベルニャエフ改め、漢・ベルニャエフに最大の敬意を。

 

 

 

そして、オリンピックのせいか例年より

影が薄いが今は高校野球の時期だ。

 

 

世の中には大の高校野球好きの人がいるだろう。

 

朝の8時から始まる第1試合から

夕方の第4試合まで甲子園に行って観戦する人もたくさんいる。

地元の高校を応援する人もいれば、

身内同士でどこの高校が優勝するかこっそり賭け事をしている人もいるだろう。

もちろん純粋に白球を追う高校球児が好きだという人もいるはずだ。

 

 

俺は、というと・・

高校野球が好きではない。

いや・・はっきり言おう。

大嫌いだ。

 

野球は好きだ。

小学生の時少年野球をしていたし

大人になった今、阪神が勝てば嬉しい。

ひたむきに白球を追い、

1塁ベースにヘッドスライディングをする姿には胸を打たれる。

 

 

では、何が嫌いなのか。 

それはこの炎天下の中、

1人のピッチャーが連日100球、200球・・何百球も

投げなければいけない過密日程・大会運営が嫌いなのだ。

 

将来有望な選手が

肘と肩を酷使しなければならないのが嫌いだ。

 

もう見ていて心配になる。

 

連日の連投で肘と肩が潰れてしまわないかと心配だ。

だから、見ていて楽しめないし感動もできないのだ。

 

 

 

高校卒業後プロに行く球児もいる。

大学や社会人野球に進む球児もいる。

 

野球人生はまだまだ長いんだからここで終わってほしくないし、

終わってしまう可能性を作ってほしくない。

 

 

今は根性や精神論が通用する時代じゃない。

投球数の制限を設けたらどうかという意見もあるそうだ。

もちろん俺はそれに大賛成だ。

 

100球か70球か俺は専門知識はないので

適正な球数はわからないが、

次の日や今後の野球人生に支障が出ない球数を

投げたら交代しないといけない制度を作って欲しい。

 

 

なぜ1人のピッチャーが連日何百球も

投げなければならないのかというと、

高校野球では優秀なピッチャーが

1人いれば大体試合が決まることが多い。

各チームで1人のピッチャーに依存してしまうのだ。

 

もちろんエース級のピッチャーを何人か揃えれば、

中継ぎや抑えなどでリリーフをして球数を抑えることができるのだが、

エース級のピッチャーがそんなにいるわけではない。

各チームに1人いるかどうかだ。

 

 

毎年のようにどのチームも1人のピッチャーが

投げ続けるということは、

高校3年間の練習ではエース級のピッチャーを作ることができないと

言っているようなものだ。

 

結局、高校野球では1人の圧倒的な素質によってチームの勝利が決まってしまう。

 

 

そして、その圧倒的な素質をテレビ局や大人が

感動コンテンツのために消費しようとする。

俺はこの部分が嫌いなんだ。

 

 

球児や野球そのものは嫌いではない、

むしろ好きだ。

球数制限や疲労がたまらない仕組みやシステムを作ろうとせず、

高校野球ビジネスの黒い部分が見えてしまうせいで感動できないのだ。

 

 

試合している本人たちは、

「肩に違和感があるので降板させてください」

「次の試合に備えたいので今日はこの回でマウンドを降りたいです」

なんて言えるはずがない。

 

肩に故障を抱えていても

この試合で野球人生が終わってもいい、

と思ってやるはずだ。

 

こういう考えが生まれるのはおそらく

日本のスポーツ漫画やアニメで

何回もそういう展開が描かれたり放送されたりして、

自己犠牲してチームを勝利へ!というのが

美しい・正しいというのが小さい頃から

刷り込まれているのも影響しているはずだ。

 

フィクションはフィクションだ。

読み物としては面白いがそれを現実と混同してしまうのは良くない。

 

 

漫画やアニメのように現実の高校生を

感動コンテンツのために消費するのは悪しき風習だ。

1人の圧倒的な素質をお金のために

喰い物にする人たちがいなくなって欲しい。

そうすれば俺は安心して甲子園を見れる。

 

甲子園に出る球児が怪我なく大会を終えられますように。